五十音でめぐるワインの旅 「け」警官に踏み込まれた冬の日/フランス
BC、ADってあるじゃないですか。Before Christ, Anno Domini。
東の果てに住む私まで、なんでたったひとりの誕生日につき合わされにゃならんのだ、と思うことがあります。まあ最近はBefore Corona After Coronaという使い方もあるようですが。
わたしにとっての大きな区分はと考えるに、これはもうBG,AG一択なんですよね。Before Google,After Google。
とはいえ、Googleが命の恩人ぶりを発揮するのは携帯電話を使っているときが多いので、BKD、AKDとも言えますね。どこぞのお嬢さん集団ではありませんよ。Before keitai-Denwa After Keitai-Denwaです(そこローマ字にするか?というツッコミはおいといて)
携帯電話がない時代の海外旅行がどんなもんだったか、みなさん覚えてます?(平成生まれはここ飛ばしてよろしい)
小銭をいくら用意してもあっという間に消えていくし、なにより駅や街角にある公衆電話はたいがい壊れてた。ですよね?
今、国内の自宅という100%安全地帯にいたってスマホが手元にないと不安なのに、右も左もわからない、言葉も通じない海外で電話がない状況というのは、ほんっとーーーに不安なものでした。
今回はその電話が引き金になった昔話です。どんぶらこっと。
1995年の春、地下鉄サリン事件から一週間後に、わたしはオットとともにアルザスに行きました。わずか2カ月の“ちょい住み”ってやつです。
住んだのはコルマールから車で10分ほどのヴィンツェンハイム村。グラン・クリュ・ヘングストがあるとこですね。(ちなみにわたしの最初のメールアドレスはヘングストでした。当時は知らなかったんですが、これ実は「雄牛」という意味で、のちにドイツ人の友人に「キミ、ずいぶん勇ましいアドレス名だねえ」と言われました)
一軒家を借りたんですが、これは大通りにあるお菓子やさん老夫婦が引退後に住もうと建設中だった物件で、二階部分はまだ工事中だったので1階のみを使わせてもらいました。
アルザスに着いた日は雪のちらつく日曜日でした。とりあえずスーツケース2個分の荷をほどき、夜は近くに住むジョスメイヤーのジャン・メイヤー一家と教会のコンサートに出かけました。
教会までは車で15分ほどなんですが、ほら、三半規管が未発達なわたしはまたも酔ってしまい、帰宅後は即トイレに駆け込みました。
オットは、「無事着いたと日本に電話してくる」と外へ。この家にはまだ電話がついていなかったのです。
さて、ひとりトイレで苦しんでいると、玄関ドアをドンドンと叩く音が。「あれ?鍵もってくの忘れたのかな?」とヨロヨロとトイレからはい出ようとしたその瞬間、「バーンッッ!!」と玄関ドアが開き、警官が数人、家の中になだれ込んできました。
外には後ろ手に手錠をかけられたオットの姿が!
フランス語がまったくわからないわたしは彼らが何を言っているのかわからないし、何が起こっているのかもわからず、あっけにとられて声も涙も出ずその場に立ち尽くしていました。
警官とオットがなにやら話しています。オットはフランス語は話せませんがドイツに5年いたのでドイツ語は堪能。当時のアルザスは英語よりだんぜんドイツ語話者のほうが多かったのです。
ややすると大家さん夫婦がやってきました。そうしてやっとオットは開放されたのでした。
何が起こったのかというと。
2,3日前に近所で自転車の盗難があったそうで。
工事中の家に明かりがついていて外国人が出入りしている!これは泥棒だ!と勘違いした二軒となりの高校生が警察に通報。ちょうど家を出たオットを捕まえたということなのです。
その後、通報した高校生の男の子は英語が喋れるガールフレンドを連れて謝りに来ました。
翌日、ジャン・メイヤーにいきさつを話したらジャンは激怒し警察にクレーム。署長が直々に謝罪にすっ飛んできました。
初日のこの事件のおかげで(?)、翌日には村中が「オットはドイツ語を話せるがツマは何も話せない」と知ることとなり、わたしたちと会うとみなドイツ語で話しかけてくるようになりました。
まあ、このあともいろいろあったのですが。それはまた次の回で。
1995年当時はデジカメもなかったし、写真なんてそんなに頻繁に撮らなかったんですよね。
このとき、ちょうどフランスにいらした五味さんが日本へ帰国する前に立ち寄ってくださいまして。なのでまたも五味さんご登場のフォトです。
お菓子屋さんご夫妻と一緒のわたし。泣きべそをかいてるのは、帰国の挨拶にうかがったときだから。
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