<ワインの旅 3> Gal Tibor ガール・ティボル ハンガリー / エゲル地方
「ぼくは200歳まで生きる!」 ガール・ティボルは真顔で言った。レンジ・ローヴァーでさえ登るのが困難なほどの道なき道の果てにたどり着いたのは、エゲル地方でもっとも温暖な南西向きの斜面。しかしブドウ畑があるのは半分ほどで、あとは雑木林のまま。丘陵地帯のエゲルには、社会主義時代、耕作するには手間がかかるからと打ち捨てられ荒廃したままの畑がいくつもある。それを再興するために200年は必要だと彼は言った。
雑草の根を抜き、土から石を掘り起こし、畑へと整地してゆく。作業をするのはロマの人たちだ。「民主化したとはいえ、ハンガリーには問題も多くのこる。そのひとつがロマの人たちだ」。ティボルは彼らに職を与え定住を促すことでその問題に取り組もうとしていた。
丘のふもとには廃墟の城が建っていた。「この城の所有者は、社会主義者に『城を明け渡せ』と迫られたとき、あんな奴らに渡すくらいならと、自らダイナマイトで城もろとも吹き飛ばした。ぼくはここをワイナリーにしたいんだ。彼の子孫もそれならぜひにと譲ってくれたんだよ!」。
「ね、ぼくが200年生きると言う理由がわかっただろう!」
しかしその夢はかなうことがなかった。
資金繰りのために、ティボルは世界中のワイナリーでワインコンサルタントの仕事を引き受けていた。そのうちのひとつ、南アフリカで2005年に事故に遭い帰らぬ人となったのだ。まだ46歳だった。
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ガール・ティボルは社会主義時代のハンガリーで国営ワイナリーの醸造長を務めていたところ、たまたま狩りで当地に滞在しティボルのワインを飲んで感激したスーパー・タスカンのオルネッライアのオーナー、ルドヴィコ・アンティノリにスカウトされ、1989年にオルネッライアの醸造長に就任。ティボルは92年にハンガリーに帰国しガール・ティボル・ワイナリーを設立した。
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